Home

FRENCH BLOOM CINEMA

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

パリで観るクリント・イーストウッド〜懐かしの70年代の名優を探して(6)

2007年12月22日夜7時過ぎ。筆者は寒風吹きすさぶパリで、ある映画館の入場券売り場の前に並んでいた。場所は Rue des Ecoles にある映画館 Action Ecoles。ここでは12月中旬からクリント・イーストウッドの監督作品の特集上映が行われていた。1970年代の初期作品から最新作に至るまで、ほぼ全ての彼の作品が上演される画期的な企画である。東京の京橋にあるフィルム・センターでもこれほどの特集上映はまだやっていないのではないだろうか。「パリで観る映画がイーストウッドとは…」と思われるかもしれない。だが、果たしてこれは特殊なことなのだろうか。

恐怖のメロディ 【ザ・ベスト・ライブラリー1500円:2009第1弾】 [DVD]ここで、一般のフランス人に最も愛されている映画作家は誰だろうか、と問うてみる。私見によれば、フランスのテレビで最も頻繁にその作品が放映される映画監督は恐らく以下の三人だ。フランソワ・トリュフォー、ロマン・ポランスキー、クリント・イーストウッド。私がパリに滞在していた頃、彼らの映画は月に一本は確実に放映されていた(それも芸術系のチャンネルでなく、国営放送で)。既にフランス映画の父と看做されているトリュフォーは当然としても、残りの二人については意外に思う方もおられるかもしれない。

しかし、ポランスキーはもう長くパリに住み続けている映画作家であり(彼は暴行事件の容疑者とされて以来、アメリカへの入国は出来ない)、フランス人にはお馴染みの存在となっている。10年ほど前にはパリの劇場でカフカの『変身』の一人舞台をやるなど、俳優としての活動にも余念がない(思えばトリュフォー、ポランスキー、イーストウッドは三人とも監督権俳優である)。一方、イーストウッドもフランスで発見された映画作家と呼んでも過言ではないほど、フランス人には高く評価されている。1992年、『許されざる者』で米国アカデミー賞において監督賞を受賞したイーストウッドが壇上に上がるなり「フランスの批評家に感謝している」と述べたことを覚えている人もいるはずである。

いまでこそイーストウッドの映画作家としての力量を疑うものは皆無だ。『許されざる者』と『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)で二度アカデミー監督賞を受賞するという快挙を成し遂げたのみならず、『パーフェクト・ワールド』(1993年)、『マディソン郡の橋』(1995年)、『ミスティック・リバー』(2003年)や硫黄島二部作(2006年)など、常に世界の映画ファンを瞠目させる作品を撮り続ける監督として、いまやその映画作家としての地位は不動のもののように思われる。だが、1971年に彼がその監督第一作『恐怖のメロディ』を世に問うたとき、それを真面目に取り上げる者はどこにもいなかった。

特にアメリカでの評価の低さは決定的なものだった。ポーリン・ケールをはじめとする大新聞の有力批評家はイーストウッドの作品に罵詈雑言を浴びせ続け、それは『許されざる者』を発表するまで20年以上の長きに亘って続いた。アメリカは確実に一人の優れた映画作家の誕生を認めることが出来なかったのだ。イーストウッドを俳優として使った映画監督のセルジオ・レオーネでさえ、あるインタヴューで「(デ・ニーロと比べれば)イーストウッドは単なるスターに過ぎない」と述べ、その映画監督としての力量を認めないどころか、俳優としての資質すら軽視する発言をしていたのだ。

ところが、フランスの映画批評家は全く違っていた。『カイエ・デュ・シネマ』誌を中心とする批評家たちは早くからイーストウッドの作家性を見抜き、この「映画作家」の全作品を分析することに余念がなかった。それはイーストウッドが『許されざる者』を撮る遥か以前からである。さすがにトリュフォー、ゴダールを生み出した映画批評誌であり、その先見の明には驚かされざるを得ない(もっとも、蓮実重彦によると世界で最初にイーストウッドを発見したのは日本だとのことである。確かに蓮実と山根貞夫は70年代初頭からイーストウッドの監督作品に対して熱烈な批評を書いており、作家の金井美恵子を呆れさせていた・・・)。また、中条省平の分析によれば、あのゴダールまでもがイーストウッドを存命の映画作家の中で最もライヴァル視しているというのだ(『クリント・イーストウッド―アメリカ映画史を再生する男』、ちくま文庫、2007年)。このようにフランスにおいては、イーストウッドは商業的成功を収めるのみならず、芸術的な面でも常に高い評価を得てきたことが分かるであろう。

さて、筆者がその日に観た映画は『ペイルライダー』(1985年)という作品だった。既に繰り返し観ている作品であるにもかかわらず、今回観直してみて、イーストウッドの才能には改めて唸らされた。彼の映画の中でも5本の指に入る傑作ではないだろうか。この作品は彼自身の旧作『荒野のストレンジャー』(1972年)のリメイクと呼んでもいい作品だが、映画自体の雰囲気は全く別物になっている。性根の汚い荒くれ者たちによって支配された西部の小さな町。保安官すら悪の手に染まっている。そこに、どこからともなく男がやってくる。彼は名前を持たず、しかも牧師の姿をしている。だが、ある家族が極限の状況に陥っていることを知ると、男はガンマンとしての本性をついに表す・・・。とこう書くと、「どこにでもある西部劇ではないか」、と思われるかもしれない。しかし、聖書の祈りと共に男を乗せた馬がゆっくりと現れる場面。男の過去を物語る、背中に刻まれた6発の弾痕。極悪の保安官がつぶやく「あいつは死んだはずだ」という不可解な言葉。山の向こうから響いてくる「過去の声」など、この映画には神秘的な要素が数多く含まれている。とても西部劇とは思えないほど、この作品は形而上学的な高みを目指しているかのように感じられる。

イーストウッドの作風はこの『ペイルライダー』の頃から確実に変わったような気がする。それはもはや単なるアクション映画などでは有り得ない領域に達したかのようだ。その映画は常に「死」と「生」の狭間を、「悪」と「正義」の狭間を凝視している。そして、このテーマが究極的な場所にまで辿り着いたのが『ミリオンダラー・ベイビー』と『硫黄島からの手紙』なのだと言えよう。前者では尊厳死、後者では戦争での際限のない暴力をこれ以上ないほどの峻厳さで描き出している。決して一作でそのテーマを解決させることはなく、飽きることなく繰り返しながら、イーストウッドはその問題に挑み続けているのではないだろうか。「本質的な思想家は唯一つの問題にだけ立ち向かう」とはハイデガーの言葉だが、まさにイーストウッドの新作映画は常に一つの「思想」として観客の前に到来してくる。このような映画が商業映画として大劇場で上映されているという事態は、100年を超える映画史の上でも奇跡的なことではないだろうか。



不知火検校

グラン・トリノはいい車なのか

grandtrino01クリント・イーストウッドの最新作『グラン・トリノ』は、移民問題、家族間の対話、友情と無理解、銃器と暴力の蔓延、法律や宗教の限界など、さまざまなテーマをコンパクトに織り込んだ脚本も素晴らしいが、何よりもイーストウッド本人の圧倒的な存在感を確かめるための映画でもある。そのことについては、もはや贅言を要さないだろうから、ここでは別のことに注目したい。それは、題名にもなっている車、グラン・トリノ(Gran Torino)のことだ。

グラン・トリノはイーストウッド演じるウォルト・コワルスキーが働いていたフォード社の誇りである。日本製の自動車を乗り回す彼の息子やその家族にはとりわけ譲りたくない品だ。そんな風に状況が説明される。だが、僕にはその思い入れが共有できない。映画を見ながら、そもそもグラン・トリノってそんなにいい車なのか、という疑問がずっと頭にこびりついていた。

まず、僕自身も含めて、日本で育った人のほとんどは「グラン・トリノ」がフォード社の車名だということに、すぐには気づかないだろう。サンダーバード(ビーチ・ボーイズの歌でお馴染みのいわゆるT-Bird)やムスタングならまだしも、トリノはこれまで、映画やドラマなどでも、さほど脚光を浴びてこなかった。映画のなかで、モン族の不良集団が盗もうとしていた、ウォルトの所有する72年型グラン・トリノは、見るからに素敵なクラシックカーだが、それはきれいに保存されてさえいれば、別にこの車でなくてもよかった、と言えるかもしれない。事実、Wikipediaによると、トリノという中型車のシリーズは、たとえば同時期に発売されたシヴォレー・シェヴェルと較べても、さほど人気のある車ではなかったらしい。

http://www.youtube.com/watch?v=KoLMLFz2Hg8
http://en.wikipedia.org/wiki/Ford_Torino#Popularity

ヌーヴォー・ロマンの作家として有名なミシェル・ビュトールに『モビール』(1962)というアメリカ旅行記がある。横長の変形判に印刷されていて、作家の目に映った外的世界の断片的記述と、作家の意識に捉えられた対象の描写と、通過中の土地の歴史や雑多な情報が、同時進行的に表れるという、複雑な構成をもつ。『グラン・トリノ』を見て、なぜこの旅行記の話が出てくるのかと言えば、ページの左端に、作家が車で旅しながら道路上ですれ違ったり、追い抜いたりした車の種類をいちいち書き留めていて、かつて読もうとしたときに、この固有名詞の羅列がどうにも分からなかったことを思い出したからだ。よほどアメ車を趣味にしていないと、この本に出てくるMercury, Nash, Oldsmobile, Packard, Plymouth, Rambler, Studebaker, Willysといったメーカーが、そもそも現存しているかどうかさえ、言い当てることができないだろう。同時代のフランス人読者にも、どのくらい固有名詞として認識されていたのか、疑問に思う。

固有名詞は、その指示する対象を知らない者には、謎の言葉でしかない。だが、車種を熟知していなくても、これらの車の名前が、それぞれの乗り手の記憶と結びついているだろうということには思い至る。今では誰も乗らない車の名前は、誰かがそれに乗っていた時間と結びつく。忘れられた固有名詞は、忘れられた歴史と結びついているのだ。

そうした車の歴史に関して印象深いのは、ジャン=ポール・デュボワの小説『フランス的人生』の主人公の父親が、Simcaの整備工場に勤めていた、というエピソードだ。シムカは1970年代にクライスラーに吸収されてしまったフランスの自動車メーカーだが(そのクライスラーも先日ついにGMに吸収されてしまった)、現代のフランスの若者にとって、それはオオタ自動車やプリンス自動車同様、馴染みの薄い、あるいはまったく聞いたこともないメーカーになりつつある。その意味でも、シムカに勤めていたという経歴自体が、「かつてのフランス」的なのである。

そういう意味では、グラン・トリノ72年型は、「かつてのアメリカ」のアイコンなのだろう。主人公ウォルトも、まさに「かつてのアメリカ白人労働者」のカリカチュアのような、ごりごりの人種差別主義者として振る舞う。そして、ポーチで日がな缶ビールを飲む。ポーチという空間も、缶ビールというアイテムも、どちらも極めてアメリカ的だ。『キネマ旬報』の小林信彦と芝山幹郎の対談によると、ウォルトが飲むビールも、労働者階級が好む典型的な銘柄だそうだ。

だが、それだけなのだろうか。グラン・トリノが中年以上のアメリカ人のノスタルジーを掻き立てるという、それだけの理由で、イーストウッド監督作品中、アメリカで最大のヒットとなったこの映画のタイトルに選ばれたのだろうか。

本作のストーリーを詳しく語るつもりはないが、多少ぼかして言えば、ウォルトが血の繋がりのない隣人に、グラン・トリノを譲る、という結末である。ラストシーンは、この車を隣人が運転して湖のほとりを走っている場面だ。そこにイーストウッド作曲(彼はここ最近の監督作品には自らスコアを書いている)の主題歌が、珍しくイーストウッド自身の歌声で始まる。さすがに年老いて、呟くような声だが、それが何ともいえない味わいを出している名曲だ。2番からは、もっと若い歌手が歌い継ぐ。そして出てくるのが、「あなたの世界は、あなたが残してきた小さなものすべてを集めたものでしかない」(Your world is nothing more than all the tiny things you’ve left behind)という一節だ。

http://www.youtube.com/watch?v=HEXF7U5TYV8

映画を見終わった後、この歌が忘れられず、iTunesストアで購入した。そして、繰り返し聴くうちに、僕はようやく意味が分かった気がした。やはりグラン・トリノは大した車ではないと考えてもいいのだ。それは「小さなもの」でしかない。といっても、それはグラン・トリノという車に価値がないのではなく、人が人に遺せる物品は、しょせんそこに込められた気持ちに較べれば、大したものではない、ということである。逆に言えば、気持ちのこもった物なら、何を遺しても、それはあなたの世界をかたちづくるだろう。ただ財産として車を受け取るのと、広い世界へ出て行くチャンスを与えるものとして車を譲られるのとでは、同じように運転しても、その意味は違ってくる。結局は、人の思いというものをどのように測り、受け止め、表現していくか、ということが、この映画の題名が問いかけていることなのだと思う。

アメ車といえば、子供の頃、テレビドラマ『ナイト・ライダー』シリーズのKITTのモデルが、GMのポンティアック・ファイアーバード・トランザムだということを調べて以来、ずっと興味を失ったままだったが、久しぶりにアメリカ人と自動車のつきあいがどんなものであるかを考えさせられた。そのアメ車企業は、今まさに倒産の危機に瀕している。そのことも、この映画がアメリカ人の琴線に触れるタイミングをもっていたことに含まれるのかもしれない。車をめぐる孤独な人たちの物語は、同時に車のたどった寂しい歴史の物語でもある。だからきっと、主題歌は夜を駆けていく車のエンジン音を歌って終わるのだろう。It beats a lonely rhythm all night long…

http://www.youtube.com/watch?v=oc_0SK2BKUI

グラン・トリノ [DVD]
グラン・トリノ [DVD]
posted with amazlet at 10.03.02
ワーナー・ホーム・ビデオ (2009-09-16)
売り上げランキング: 37




bird dog

Home

Recent Comments
Recent Trackback
Search
Links
Feeds

Page Top